機会さえあれば遊びたい、ずっと動画を見ていたい、悩みを打ち明け、ストレスを発散できる新しいコミュニケーション空間が欲しい、などの欲求があり、それを実現する通信ルートが確立されていることが、問題の温床となっていることは明らかです。だからこそ、子ども達の持つこうした欲求を受け止め、時に注意や方向性を正す大人の存在が不可欠になるのです。いかに子どもが喜んでいるからと言っても、子どもの将来の為にならないようなことは止めてあげることが愛情です。

 そもそもこうした環境を作り出したのは、間違いなく大人です。「子どもが欲しがるから与えた」と言っても、子ども自身に責任を求めるわけにはいきません。「子どもがいつまでもゲームをやめないのは、子どもに時間を管理する能力が欠けているからだ」と主張する大人もいます。しかし本当は、子どもの自制力を超えた強力な刺激と魅力を与えているのは大人の配慮不足や声掛け不足が原因です。
 保護者は連絡用に与えたつもりでも、子どもは娯楽のツールとしてスマホを扱います。両者の利用目的の違いは明確です。連絡用に与えたのなら、連絡用に使わせることが重要ではないでしょうか?
 学校ではインターネットの技術的な指導はできても、情報の取捨選択能力の向上まで指導するには至っていません。あまりにも授業時間が限られていることと、縦割り式の指導方法のため国語や社会科などの教科学習として扱うことが十分できていないのです。また、そもそも教師は子どものスマホ利用に消極的で、所持そのものを好意的には捉えていない傾向があります。
 企業はどうでしょうか?ケータイショップにはどのようなチラシがあるでしょうか?企業にとって子どもは大事なお客様です。子どもが欲しがれば親の財布の紐が緩むのです。ゲーム会社は子どもにだけゲームをしてもらいたいのではありません。ゲームにのめりこんでくれる人にアプリを届ける為に、大勢にばら撒いているだけです。そうしたら、子ども達が飛びついてしまったのです。
 高額な利用料金を子どもに請求せざるを得ない場面では、譲歩する姿勢すら見られます。

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