インターネットや携帯電話についてのロジカルキットの考え方

 インターネットや携帯電話についての考えは各団体とも違った考え方を持っています。通信業界やその産業を管理する総務省などは、通信産業の発展を前提とした考え方を持っています。例えば「便利だから正しい使い方を考えましょう」という視点です。警察関係者は事件性についての啓発が目的ですので「危険な世界です!法律に触れる行為も多いので気をつけてください」という考えを訴えます。一部NPO団体などでは「子ども達はこんなに危険な使い方をしています!」と非行行為への警告を発することを目的としていますので、時に極端にメディアを否定する考えも持っています。
 このようにコミュニケーションの手段であるインターネットや携帯電話は立場によっても考え方に大きな違いがありますので、それぞれの考えを理解し、比較することが自分なりの考えを持つ上で大切だと思います。そこで、ここでは私たちの基本的な考え方についてご紹介いたします。


 

子どもに携帯電話を持たせることについて
未成年者の携帯電話利用に関する法規制について
匿名性の考え方
携帯電話を使った子どもの安全確保について(小学生編)
携帯電話を使った子どもの安全確保について(中学・高校生編)
ネット犯罪やイジメなどの基本的な考え方
ロジカルキット出前講習会の趣旨

 


 

子どもに携帯電話を持たせることについて

 携帯電話を使ったコミュニケーションは、あまりにも多くの情報を知る機会を子ども達に提供し、またマスメディア並の情報発信能力を備えているという点で考えると、判断力に限りがあり、暴露性や露出性の高い子どもには手に余る道具であることは疑いようの無い事実だと思います。
 そのリスクを理解した上で、緊急時の連絡や、特定の人物との通信としての活用など、目的を明確にした利用を指導する保護者の能力や、子ども自身の理解があればこそ、子どもへの携帯電話利用は有意義になります。例えば、私立学校への通学のように、従来の子どもの判断能力で活動できる行動範囲を超える活動を実現する為であったり、親の仕事上どうしても親子の連絡が取りにくい生活環境での連絡が想定されます。または、分別ある行動をしつけながら段階的に携帯電話の利用を許可する方法であれば、新しい時代の生き方として理解することも出来ます。しかし逆に「子どもの安全を守る」、「早いうちから慣れさせたい」「持たせると安心」などの理由の場合は注意が必要です。それでは子どもを甘やかせてしまったり、逆に根拠の無い安全性を信じてしまい危険な状況に陥ることも考えられます。
 それから、どのような場合であっても携帯電話を早くから子ども達の日常生活に取り入れることで、学ぶべきときに学ぶべきことが学べなくなる可能性があることを理解しなければいけません。我慢をすること、孤独を受け入れ克服すること、自分と向き合う機会、自力で困難を解決する知恵や、それによって得られる自尊心などは、努力を求められる環境だからこそ学びやすいことでもあります。これらの能力を身に付けさせながら、携帯電話の利用を許可していくには、倫理観や人生観などを含めた幅広い視野での教育・指導が不可欠になります。
 保護者としてそれなりの考えが子どもに伝えられるのであれば、子どもの携帯電話利用は有意義でもありますが、もし、そうでなかった場合は、低年齢からの携帯電話利用は子ども達の将来に影を落とす可能性があると考えています。子どもがかわいそうと思って与えた携帯電話が、結果的に子どもを甘やかせてしまい、生きる力を養えなくなったとしたら、それは一体誰の責任なのでしょうか?

 

未成年者の携帯電話利用についての法規制について

 法律とは社会規範の最大公約数であり、個々人の行動までを制御するものではありません。携帯電話が未成年者に問題であるなら、そもそも使わせないような法律を作ればいい、という考えは以前からありました。しかし、物理的危害を与えやすい自動車や凶器と違い、コミュニケーションの起こす問題は危険性や有害性についての判定が非常に難しいものです。ましては文字情報が主体のネット・コミュニケーションでは、発信者の意図がつかみにくく、一概に有害性があると断定するわけにはいきません。ですので、青少年の携帯電話利用の禁止という規制は言論の自由や表現の自由、さらには人としての尊厳に関わるものと考えられます。
 精神に悪影響を与える性情報や暴力的情報の閲覧を防ぐのであれば、インターネットに関わらずコンビニの成人図書販売から見直し、社会全体が健全化することを視野に入れた法規制が必要です。また、青少年の非行行為に対する抑止効果を狙うのであれば、非行行為の原点でもある家庭環境の改善を視野に入れる必要があると思います。例えば電子コミュニケーションによって起きた問題行動に対し保護者に一定の責任を追及するというようなものです。
 インターネットや携帯電話の本質的な理解が進まない中、商業ベースで未成年者への携帯電話利用を促進したのは大人です。にもかかわらず、その結果未成年者が起こした問題だけを指摘して未成年者を加害者扱いし取り締まろうとすることは、実に大人気ない発想ではないかと思います。

 

匿名性の考え方

 近年インターネット上の発言が原因で自殺や暴力などに発展するトラブルが増えています。その原因の一つとして匿名性が挙げられることはご存知のことと思います。名前を伏せて発言できるので、言いたいことが何でも言えてしまうという問題を作り出してしまうのです。
 この課題の解決策として「匿名性の廃止」を訴える人は大勢います。しかし、悪口発言の抑止を目的として匿名性を廃止することはいささか早まった考え方ではないかと思います。そもそも匿名性を廃止するにしてもユーザーの管理が徹底される保障はありません。発信者情報は現在でもアクセスログの管理によって行われており、サーバーやプロバイダーに対するログ管理の徹底ついての法規制であれば歓迎します。しかし、発信者情報が一般に判別できる「匿名性の廃止」は弊害の方が多いと考えます。特に日本人は大勢の前で発言する習慣をあまり持っていません。正誤の判断を入試などのペーパーテストを通じて訓練された私たちは、間違っているかもしれない情報は発言してきませんでした。しかし、インターネット上では多くの名も無い一般市民の発言が盛んに行われています。正しいかどうかはっきりしなくても、自分なりの考えを発信し、広範囲に及ぶ意見交換を実現することで助け合いや学習に役立ててきたのです。匿名性が私たちに発言の勇気を与えてくれたのだと思います。
 もし匿名性が廃止されれば、たしかに極端な悪口発信は抑えられるかもしれません。しかし同時に庶民の発言は減少し、権威者や専門家等による情報発信が幅を利かせるようになりかねません。そうなると、もはやインターネットは単なるマスメディアの延長としか捉えられなくなってしまい、インターネットの可能性として期待されている「発言の平等性」が失われることになってしまいます。
 発信者情報を暗号的手法で管理し、被害届けに対し敏速に対応する制度の導入や、民事訴訟による解決を簡単に行える司法制度の改良が先に検討されるべき課題であると考えます。

 

携帯電話を使った子どもの安全確保について(小学生編)

 ハイテク機器の大好きな日本人は、ますます機械的に生活することを望むかのようです。地域の不審者対策として監視カメラを増やし、子どもの居場所確認にGPSを活用した携帯端末を活用します。「子どもの安全の為」と言われてしまえば断るわけにはいかないほど、私たちは「安心・安全」と言う言葉にすがっています。それはもはや「ない影におびえる子ども」のようです。
 果たして携帯電話の防犯ブザーは子どもの「安全」とどのような関係があるのでしょうか?いわゆるキッズケータイの機能から予想できることは、①指定したメールアドレスにブザーを引っ張ったことを知らせるメールが届くこと。②大音量(93db程度)の音が出ること、③数秒後にカメラが作動し「犯人」の撮影が可能なこと、④電池パックが外れないので電源が切れない。又は電源が切れたこととその位置を指定したメールアドレスに連絡する、⑤心配になれば保護者はいつでも子どもの居場所が確認できること、⑥塾やバス停など特定の場所に接近したときに位置情報や時間を指定したメールアドレスに送信する、⑨警備会社と契約をすればスタッフが急行してくれる、という具合です。こうして至れり尽くせりで子どもを守ると言うわけですが、その真相はどうでしょうか?
 母親の携帯電話に緊急連絡が入った場合、現場に急行するのにかかる時間はどのくらいでしょうか?ましてや仕事中、マナーモード、など対応が遅れた場合はどうなるのでしょうか?大音量で犯人撃退が可能であれば「防犯ブザー」があれば十分です。写真で撮影された映像は本当に犯人なのか、そもそも近づいてくる人物を不審者と判断し冷静に携帯電話を構えカメラやブザーを引く判断を子どもに任せることは可能でしょうか?子どもの居場所と携帯電話の居場所は必ずしも一致しませんし、壊せば電源は切れます。警備会社と契約をし、警備員を現場に急行させても、費用がかかるため先に子どもに「むやみに引かないよう」指導することでしょう。そうなれば、ますます子どもは混乱してしまいます。
 今まで何事も無く過ごしていたのに、携帯電話で機械的に確認が取れるようになると心配になってしまうという心境は、治安に対する不安ではなく、単に我が子可愛さからくる心配ではないでしょうか。
 結局携帯電話を使った子どもの安全への取り組みとは、親の安心を買うための口実として「安心安全」と言われているに過ぎず、実効性は薄いと考えることができます。
 日本より治安の悪い諸外国で同様のシステムが使われていない状況からすると、平和な国だからこそ犯罪に極端におびえてしまい、その不安を商売に利用されたとも考えられるのではないでしょうか?
 *注意:私たちは携帯電話で子どもの安全が守られないと否定しているだけではなく、守られると信じ込んでしまっている人達に、違ったものの見方や新しい考え方を伝えることを重視しております。

 

携帯電話を使った子どもの安全確保について(中学・高校生編)

 判断や自分の行動への責任が求められる中高生は、小学生にくらべトラブルの自力解決能力だけでなく、未然予防対策も考えられると思います。暗がりの道を通るときの注意や、その道を避ける判断、後ろから誰かがやってきたときの行動も予測しシュミレーションする能力が求められます。また、未然予防策として、暗い道を通らない、欲情させるような服装を避ける、運動性能の比較的高い服装選びなど、治安の悪化を懸念するのであればこうした予防行為を習慣付ける必要が第一です。また、塾や部活動で時間が遅くなる場合は、迎えを頼むこともあると思います。その場合にしても公衆電話をつかえば済むことや、事務室の電話を借りることは出来るはずです。または約束を決めて、待ち合わせ場所で待つ。カープールのように保護者が交代で送迎をする、など知恵を使えば済む問題も多々あります。そのようなことを「面倒」と考え携帯電話を持つということは、上記(小学生編)で紹介したように実効性の薄い気休めの安全にすがっていることに他なりません。気休めで良いというのであれば、安全の為という言い訳はやはり意味の無いものではないでしょうか。

 

ネット犯罪やイジメなどの基本的な考え方

 ネット犯罪でよく言われることは「悪い大人が狙っている」という言葉。ネットイジメの原因も「顔の見えない加害者がいること」と、問題の原因を加害者のせいにする傾向が社会的に強いと思います。ですのでプロフや(いわゆる)裏サイトなどの監視を強め、学校では加害者を作らないよう「情報モラル」という言葉で情報発信者としての道徳教育を行っています。ところが、逆に被害者についての指導はどうでしょうか?
 私たちは、ネット時代のこれらの課題には、被害者の責任をもっと追及する必要があると考えています。成りすましとはいえ、見ず知らずの人に会いに行くのは被害者本人です。一部の生徒が集まって、見つけづらい場所に掲示板を立ち上げて悪口を書き込んでいるところを、わざわざ覗きに行くのも被害者本人です。また、皆から意見をもらおうとプロフやブログを立ち上げたら、そこに同級生から匿名で悪口を書かれたと嘆きますが、これも書き込ませているのは被害者本人です。そもそもイジメそのものはネットがあるから起きているのではありません。ネットはその手段として使われたに過ぎません。ネットが無ければイジメは解決できるのかと言えばそうではないのです。
 すべての問題の根源を被害者のせいにするような極端な発想はありませんが、自己防衛の考えを私たちはあまりにも語ってこなかったのではないでしょうか。ロジカルキットは「すべての人は被害者になる可能性がある」ことを前提に、問題未然予防の視点から、まずは賢い情報消費者の育成をめざし、被害にあわないような行動を考えることを要求しています。
 加えて、インターネットは人の本音を映し出すメディアと考え、情報の受け取り方や読み取り方など、受信者の判断力向上と、多少の悪口発信を許す心のゆとりを考えて欲しいと思います。
 ネット上の書き込みを人事部が査定の条件に加えたという話があったようです。素直に捉えれば悪口を書かれるような人材は要らないと判断されるでしょう。しかし、そもそも、そんな根拠の無いような情報を信じたり、過去の些細な情報を気にするような人事部の人間性を疑う発想も「情報モラル」という考えに含めて、大人の視点やゆとりあるコミュニケーションを養ってゆく必要があると思います。

 

ロジカルキット出前講習会の趣旨

 私たちは、携帯電話をはじめとした様々な情報機器に埋もれる現代社会において、メディアの持つ可能性とその限界について利用者に理解を求めております。ロジカルキット出前講習会は、メディアの「「正しい使い方」を考える以前に、「メディアの考え方(付き合い方)」を考えていただきたいと訴えております。そして、メディアの存在と青少年の健全な成長を本質的に見直すことを目的としております。「正しく使えば便利な道具」である前に、そもそも携帯電話の必要性や利用価値はどこまであるのか。また、青少年の日常生活とメディアの利用には、どこまで必要性があるのかを中立的立場から検証し、子どもとメディアのあり方について考えて行きます。
 なお、ご提供する情報は青少年のメディア利用に対する一方的な批判ではなく、バランスの取れた価値判断をもってメディアとの接し方を考えていただくことが目的です。詳しくは内容についての質問を参照ください。